日本のゲーム業界には業界の発展に貢献した外国人がいるとしたら信じるだろうか。
この国のゲーム文化は日本人のみで作られた訳ではないのだ。
ゲーム程制作環境と市場が国境がないものは恐らくない。
アメリカ以外の国でも超大作は作れる。
特にポーランドにはGDPの何割か占めるぐらい設けているゲーム会社まで存在するから驚きである。
厳密にはもっといるかもしれないが、その中でも有名な人を、特に日本のゲーム黎明期を支えた3人ぐらいあげる。
もしかしたらあなたも名前を聞いたことがあるかもしれない。
ナーシャ・ジベリ
旧スクウェア(現スクウェアエニックス)のイラン系アメリカ人プログラマー。
初期のファイナルファンタジーや聖剣伝説の開発を行っていた。
凄腕のプログラマーとして有名で、活躍していた当時は有名だった。
有名なものをあげたら、「ファイナルファンタジー3」の乗り物に「飛行船ノーチラス」というものがあるが、このノーチラスの移動速度が当時のファミコンでは実現不可能で、この機能はバグを利用して実装したものだという話があり、当時のファイナルファンタジーとドラゴンクエストの比較の話によくこの話題が出てきた。
他にも、ファミコンディスクシステムで発売されていたソフトでコピーガード(ゲームを違法コピーーされても正常に動かないようにすること)を実装していたことが挙げられる。
ファミコンディスクシステムは発売当時違法コピーされやすいことで有名で、このコピーガードを実装できた会社は任天堂と旧スクウェアぐらいしかなかったという。
現在は旧スクウェアから離れ、世界放浪の旅を続けた後アメリカのカリフォルニアに移住したらしい。
後、イランの王族でもあるらしい。
ミハイル・コーガン
タイトーの創業者のウクライナ系ユダヤ人。
そもそもタイトーの名前は漢字で「太東」と書き、意味は極東のユダヤ人という意味。
元々タイトーはゲーム会社ではなく、ジュークボックス等の輸入会社だった。
何で日本で会社を立ち上げたかというと、昔第二次世界大戦の時、ユダヤ人がナチスドイツに虐殺され、世界中あっちこっち逃げまくっていた時、ロシア方面に逃げていた人達が旧日本軍の軍人に助けられたことに感銘を受けて、戦争の傷跡を癒してほしいと思って貿易業の会社を立ち上げたのが経緯である。
後タイトーがゲーム産業に参入した経緯だが、喫茶店にジュークボックスを販売する際、待ち時間の間客を楽しませたいと喫茶店側から言われたのでタイトーはあるゲームを開発し、販売した。
それが世界中で流行した「インベーダーゲーム」であり、これがきっかけでゲーム産業に参入した。
後余談だが、一昔前のタイトーのゲームセンターのコインにはこのミハイル・コーガンの顔が描かれている。
もしかしたらこれを読んでいるあなたも顔を知っているかもしれない。
ヘンク・ロジャース
テトリスの版権会社の創業者のインドネシア系オランダ人。
実はこの人、以前書いた記事に出てきたアレクセイ・パジトノフと一緒に会社を立ち上げた人物である。
https://kamonhobby.com/%e3%82%a2%e3%83%ac%e3%82%af%e3%82%bb%e3%82%a4%e3%81%a8%e8%b3%87%e6%9c%ac%e4%b8%bb%e7%be%a9/
何で版権会社を立ち上げたかというと、昔テトリスが世に出始めた時代、当時のヘンク・ロジャースは日本でゲーム会社を営んでおり、日本でテトリスを輸入販売しようとしていた。
その時のテトリスの権利関係はかなりめちゃくちゃであり、どこの会社が管理しているとかどこの会社に権利を貸しているとかあんまり解っていなかった。
そこでヘンクはわざわざソビエトまで行き、全世界でテトリスを販売する契約を締結。(それまでの他の会社のテトリスの契約が無効だったり、これから発売するゲーム機では無効だということが解った)
そしてソビエトから原作者であるアレクセイ・パジトノフを迎え、1996年にテトリスの版権会社を立ち上げた。
現在は彼の娘がそのテトリスの版権会社の社長をやっている。
いかがだっただろうか?
マリオの宮本茂みたいに活躍してたわけではないが、まぎれもなく彼らが今日のゲーム文化の基礎を作ったことには間違いないだろう。
もしかすると、現代か未来にまた日本のゲーム文化に貢献する外国人がまた現れるかもしれない。
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