日本のサブカルの父、円谷英二

考察

日本のキャラクター文化の起源は何か?
それは手塚治虫とか妖怪と答える人もいるだろう。
だがそれらは私が思うに、間接的にしかつながってないと思う。
そこで今回はそんな日本のキャラクター文化を作り上げた円谷英二について書いていく。

円谷英二とは、映画の特技監督である。
特技監督とは、普通のドラマとか映画の監督とは別に、戦闘機とか戦車とか怪獣とかの人間があんまり出てこない、模型とかを使った特殊撮影の部分の場面を作る監督のことである。

でもそんな人が何で日本のキャラクター文化の土台を作ったのか。
それを説明するには彼の半生を知る必要がある。

円谷英二は昔、おもちゃ会社でおもちゃを作っていた。
彼はそこで、足踏みギアの付いた三輪車や、玩具電話、プリクラの原型みたいなものを発明して、特許料を稼いでいた。
彼は発明家でもあった。
そのため彼は大金持ちで、毎年同僚を花見に連れていくことができた。

その花見でちょっとした騒動があり、円谷はそれを止めた。
その止められた人が実は東宝のプロデューサーで、そこから二人は仲良くなり、円谷は映画の世界に足を踏み入れることになる。

太平洋戦争前、円谷は一本の映画を作った。
「ハワイマレー沖海戦」
この映画の特撮シーンはよくできていた。
戦後GHQが現地で撮った本物だと勘違いして、円谷に東宝をやめさせたぐらいだった。 
そして時間の余った円谷は自宅の庭に特殊撮影技術のための研究所を作った。
これが後の「円谷プロダクション」である。
その後、円谷は外部委託という形で東宝に復帰、あの映画を作った。


「ゴジラ」


この映画は初めて着ぐるみで生物を表現した映画である。
当時は生物を特撮で表現しようと思ったら、人形を少しづつ動かして撮影し、それをパラパラ漫画みたいに動かすという、「ストップモーション」で撮影したものが多かった。(キングコング、最近だとモルカーが有名)
「着ぐるみ」は「ストップモーション」と比べてまるで生きている様に見えたため、当時物凄い話題になった。
これでゴジラは怪獣映画として不動の地位を手に入れた。
ゴジラはシリーズ化し、さらに人気を手に入れたが、ある問題が出てきた。

スピード感が無い。

そのため、怪獣同士では接近戦の描写が難しい等の問題点があることが解った。
そこで、人型の怪獣映画を作ることにした。


「フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン)」


一応書いておくが、映画に出てくる有名な妖怪のフランケンシュタインとはちょっと違い、作った博士の名前もフランケンシュタインじゃないし、頭に杭は無いし、死体を繋ぎ合わせた化け物でもないでかい人型の化け物だと考えればいい。(というより生身の人間そのものがでている)
なのに名前が「フランケンシュタイン」である。
多分、このブログの読者ならこの名前を聞いてピンときた人がいるのではないだろうか。
実はこの作品は以前当ブログの記事「最近名前聞かないけど面白い邦画5選」で紹介した「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」の精神的な前作に当たる作品である。(物語的にはつながっていると認識できるが、登場人物の名前が違っていたり、役者が違う、サンダとガイラも着ぐるみの怪獣だが、人型の分、着ぐるみを薄くできたため、スピード感が出ていた)
最近名前聞かないけど面白い邦画5選

だが人型の怪獣はゴジラみたいに火を噴いたりするのはできない事が多く、できる事が限られる。
そこで、円谷は自分の会社、円谷プロダクションであのテレビ番組を作った。

「ウルトラマン」

人型の巨大な正義の味方の宇宙人を出すことにしたのである。
しかも宇宙人なので、手から光線を出す等、超能力を出すことができたので、人型の怪獣と比べてできることがはるかに増えた。
ウルトラマンは特撮テレビ番組として不動の地位を確立し、以降もシリーズは続いていく。

こうして、円谷英二は特撮を通して、日本のキャラクター文化の土台を作り上げた。
だがこれらの系譜は円谷がなくなった後も続く。

それは次回の記事で書く。
それではまた次回。

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