昔、ハワイが王国だった時の話

ちょっと昔話

昔々、ハワイがアメリカの州ではなく、一つの独立した王国だった時の話。

…、というより1959年あたりまで独立国だった。(厳密には1893年あたりまで王国、それ以降はハワイ共和国、アメリカの準州になっていた。 1959年から正式な州になった。)
戦時中、日本軍の真珠湾攻撃が有名だが、あの時の真珠湾はアメリカ軍の基地であるものの、まだハワイは独立国だった。

そんなハワイ王国は日本の友好国だった。
当時先進国では珍しい有色人種の国家だったので、ハワイは日本を重要視していた。
東京にはハワイ王国の公使が駐在していた。
ハワイと日本の連邦化を打診するほどだった。
皇族と王族の仲も良く、皇族と王女の縁談まであった。
何故そこまで重要視したのか?
白人による侵略を防ぐためだった。
当時のハワイは白人によって疫病をもたらされたため、原住民の数が減り、白人の人口が増大していた。
だから同じ有色人種で、先進国である日本との関係を重要視していた。
だが日本はハワイとの連邦化を望まなかった。
その当時日本とアメリカはまだ仲悪くなく、対立を望んでいなかった。
ただ日本人の渡航移民は進められた。
今ハワイに日系人が多いのは、そういった理由がある。
日本人旅行者が多いのも、かつてハワイと日本が仲良かった事が影響を受けている側面もある。

結局ハワイは侵略されてしまった。
ハワイは王国から共和国だがその時点でアメリカから侵略されているような状態だった。
真珠湾の基地がそのもっとも足る象徴だった。
前述の皇族と王族の縁談についてこんな話がある。
1881年にまだ王国だったハワイからカラカウア国王が日本に来日し、明治天皇と対談し、姪のカイウラニ王女と山階宮定麿王との縁談を持ち掛けた。
そのカイウラニ王女は美しい女性だった。
しかし、前述の理由で断られた。
ただ、カイウラニ王女は日本人以外と結婚するなと言われていたらしく、障害独身を貫いた。
炎症性リウマチにより23歳で死去した。

ハワイが侵略されてからも日本人はハワイに愛着を持ち続けた。
ドラゴンボールの孫悟空の必殺技に「かめはめ波」というものがあるが、これはハワイの島を初めて統一した大王「カメハメハ」から名前が来ている。
他にも、幼稚園ぐらいで習う歌「ハメハメハ大王」の歌もこのカメハメハ大王からきている。
ひと昔前にはスクウェア(現スクウェア・エニックス)のホノルルスタジオがあり、そこでファイナルファンタジー9が作られていた。(現在は閉鎖されている)
今でもハワイのホノルルマラソンには日本人が大量に参加しているし、福島県いわき市にはスパリゾートハワイアンズという施設がある。(この土地自体にはハワイとの関係はあんまりない)

ハワイよ永遠なれ

コメント


タイトルとURLをコピーしました